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アメリカ公演カーネギーデビューその1 - Yoko Maria Carnegie Debut Soprano Recital 15 December New York T

〜 美しく変身する私、仕上げはバレンチノのドレスです 〜
     


カーネギーリサイタル前のヘアセットとメイクです。 相手は、ジョン・バレットさん。https://www.johnbarrett.com/
私のカーネギーデビューのヘアメーク担当は、この方。
なんと、マドンナやオードリーヘップバーン、ビヨンセなども担当したことあったそう。
ここの美容室で修行を積めば、カリスマになれるという登竜門の美容院TOPの方です。

     

     

     

     


ドレスは、ニューヨークで買った 赤のバレンノのドレス・・・・如何ですか?
銀座の高級サロンの土屋さんが、何かの撮影の時に、使ったのがバレンチノのドレスで、 土屋さんに「日本には、気に入るドレスメーカーが少なくて」
と相談した時に、マリアさんは、(最近、こう呼ばれています)赤のバレンチノのドレスがきっと、似合うよ。と言われていて、
ニューヨークのブティックの定員にも、バレンチノが、貴方のためのブランドです。と言われて、運命を感じてしまった。
でも、やはり、存在感抜群ですよね。選び抜かれたセンスやラインは、優雅で気品がありこのオーラは遠めからも、ごまかせません。
シンプルなのに、存在感抜群だと思います。


〜 静かだけど熱のこもったカーネギーホールのリハーサル風景 〜
     

          
これが、リハーサル風景です。 熱中リハーサルです。
リハーサルと言えども、真剣。けして、気が抜けません。ここで、全ての曲の伴奏、歌い方の調節や確認をします。

アメリカ公演カーネギーデビューその2 - Yoko Maria Carnegie Debut Soprano Recital 15 December New York II

〜 カーネギーへの道、ついに夢のリサイタルが実現しました。赤いドレスで夢のリサイタルが始まりました。  〜
     
     
これが、カーネギーホールでの本番です。
百戦錬磨の耳と目の肥えたカーネギーのお客とスタッフの歓喜の声が上がりました満員になりました。
当日すでに、ソールドアウトしていました。これは私も驚きました、感動です。
まず、クリスマスシーズンで、皆様クリスマスコンサートを探していたことも関係していたかもしれません。
なんとタイムリーに、指揮者の小澤征爾氏の公演が14、15日と行われておりまして、ニューヨーク在住の日本人はのほとんどは、
そちらの方に行かれたということですが、しかし、私の方は、ほとんどのお客様は現地の耳の肥えたアメリカ人のお客様でした。
せっかくニューヨークでやるのですから、アメリカ人の方々に聴いてほしかった!嬉しい限りです。
プッチーニのオペラアリア、日本歌曲、クリスマスソング、はたまた、クロスオーバーの作品などを歌い上げましたが、どれも大変、喜ばれました。


〜 鳴り止まない喝采の中で終わる事が出来ました。  〜
     
     
     
     
     
さて、2部は、白いドレスにて。ミュージカルナンバーのオペラ座の怪人から、始まりました。
これは、オーケストラの作品なので、オーケストラには負けますが、それでも、アメリカ人の方々が知っているメロディということで歌いました。
「世界超一流の伝説がカーネギーにはありますが、Yokoさんは、なぜ、カーネギーホールで演奏したいと思われたのですか?」という質問には、
私は、こう答えています。 「カーネギーホールで演奏することは、世界中のアーティストの夢だからです。」
この公演について、ひとつ、残念なお知らせがあります。ビデオがとれなかったこと、こればかりは悔やまれますが、でも、これも時の運。
いろいろと大変な中でも、とにかく、やりきったこと、コンサートを成功させたこと、いろいろなことを話すと御幣がありますので
控えさせていただきましたが、カーネギーホールで演奏することは、本当に、ハードルが高いのです。ああ、だからこそ、「カーネギー」なのだと。
審査も厳しく、そして、ホール代や権利も本当に高いのです。また、一年のうちに、工事期間や閉館日が多いです。
関係者の皆様、来場して聴いてくださった方々そして、私の応援をしてくださって送り出してくださったフアンの皆様、ほんとうにありがとうございました。
今回は、与えられた条件で、とにかくやることが、最優先致しました。
現地のプロダクションから「また、やりませんか?」とオファーがありましたが、もし、今度やるのでしたら、もつと、
やりたい希望をさまざま叶えた 演奏会にしたいと思います。


〜 カーネギーホールのリサイタル終わった後のグリーンルームにて皆様と 〜
     

     

     
カーネギーリサイタル終わって、ほっとして、たくさん撮っていただいた写真を選んでいます。
こんな機会も、そうは無いでしょから。(別に、ナルシストというわけもないのですが・・・)後から見て、思い出になると良いから。
どうも交通事故以来、体調が悪くて、でも、これも人生の転機なのかな。
カーネギーホールリサイタルは、長年の私の夢で、どうしても、やってみたいという思いからだった。
問題は、終わった後のこと。 アーティストとして、年輪を重ねて行くとは、どのようなことでしょうか?
かつて、私が勉強していた時の先輩歌手の、苦悩を見ると、いつか、自分がそれは、通る道。 私は、私で、今年は新しい花を咲かせたい。


〜 カーネギーの思い出写真 〜
     

     

二胡奏者ジャーパンファンさんとの私のリサイタル in 東京オペラシティ

1月27日は、東京オペラシティでの私の「Yoko Maria ソプラノリサイタル」でした。
とても素敵な3身一体のハモニーの素晴らしいコンサートになりました。
     

この3人のトリオで磨きを掛けて行けばやがて、宝石のような魅力的なリサイタルになると思いました。
     

     

     

     

     

〜 夢の始まり 〜
あなたが星にみえました
あまりにきらきらしていたので
そっと、手を伸ばして触れてみたくなりました
果てなく遠い遠い夜空の星と知りながら
ついに、あなたを捕まえたくなりました
これが私の夢の始まり
     

     

二胡奏者ジャーパンファン先生と北川美晃先生のピアノと私の歌の組み合わせの音楽ですが、
この組み合わせのコンサートは、2011年3月21日(祝)にも、ほぼ同じ内容で、渋谷の邸宅の地下のホールで行います。
少し、新曲も入れますのでお楽しみに。

私は、この3人の組み合わせは、とても、真面目で、美しいきれいな世界だとおもっていますので、
ぜひ、多くの方に聴いて頂きたい音色だと感じています。

また、3月14日(月)に、ピアニストの泉博子先生と同じ場所で、主にプッチーニのオペラアリアを集めた作品を演奏したいと思います。
ぜひ、お立ち寄りくださいましたら、幸いです。
素敵な夜の調べにしたいと思います。

前田憲男先生と絆が出来ました。

これは、9月9日のYoko Mariaソプラノリサイタル in 東京オペラシティ の第一部です。
リハーサルの前は、オペラシティの楽屋で、前田憲男先生と一緒に、取材を受けました。
     

     

     

     



さて、今回のコンサート前は、10月14日と12月15日のコンサートの準備におわれて いました。
10月14日は、来日フィンランド人ピアニスト に来日していただきまして、 北欧歌曲のリサイタルを開催します。
でも、こんなふうに、音楽以外のことで、切羽詰っている時の方が、実は、いい音楽が出来るようです。

コンサートは、本当に、大成功!
75歳、この年で、クラシックとジャズのこんな異色の組み合わせの音楽に、チャレンジする前田憲男先生は、やはり、
一流で素晴らしいですし、その生き方に、スポットライトが当たってもいいと思いましたし、だからこそ、「本物」なのだと。
曲と曲の間のトークも、漫才の余ように、サービス精神満点で、盛り上がりました 。大うけでしたね。
おかげさまで、コンサートは、今までにない盛り上がりでした。
素晴らしくて、拍手喝采でした。クラシック歌手からの仕事は、実は、はじめてなんだよ。って。
この年になって、はじめてなのだと。
本当に、多くの聴いていていただきたかった「音楽」でした。

この日本で、こんな演奏会はなかなかないCDに残して置きたいぐらいの画期的な演奏会であったと思っています。
これが、一回きりになって、消えてなくなってしまうのは、本当にもったいない 貴重な音楽や時間だったと思います。
この共演、私は、音楽以外でも、成功だったな と思えることがたくさんあって、うれしかったです。
偶然が偶然を呼び、また、それが、新たな偶然が偶然を呼んで、 時間がたって、思い出して、 こういうふうに繋がって、
ちゃんと社会に還元できる音楽のエネルギー になっ たことは、本当に、素晴らしいことだと・・・
明日からも、また、がんばりたいと思います!

9月9日の私のリサイタルは、クラシックの雑誌ぶらぼおの9月の注目公演として、ピックアップされてました。


     

     

     

     

     

ジャズピアニストの前田憲男先生とのコンサートが終わりました。
本当に、皆様お疲れ様でしたという感じです。

結果は、大成功! 私が思ったとおりでした。
最後、先生にも、映画の中の「ひまわり」を弾いていただきました。
本気で、「音楽」をさせていただきました。

満員の会場は、約2時間のリサイタルがあっという間だったという声を たくさん、いただきました。
ありえないだろうと思われた共演だったけど、ありえた共演、ありえた音楽・・・・でした。
ジャズピアニストが弾くクラシックも大成功!!!映画音楽も大成功!!!
指揮もする、手書きの譜面を起こす、作曲もする、編曲もする、75歳だというのに、何でもチャレンジするお姿は、
神業です。 日本のジャズ世界に名前を残す方、間違いないのだけど、やっぱり、すごいなあ。

100歳までピアノを弾き続けると宣言した先生、
「100歳までピアノを弾き続けるということは、まだ、75歳というのは、まだお若いですよね??」
なんていうトークでも、会場は、盛り上がりました!
自分は、100歳のバースデーの時に、自分でコンサートを企画されるそうです。
https://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200910310207.html

そういう気持ちの先生と共演できて幸せです。私は、その気持ちが大切なんだと思います。
アーティストは、いつもまでも。アーティストとして、そんな学びがありました。

最後にとった写真は、前田憲男先生のマネージャー秋吉様、うちのオフィスの篠原さん、前田先生、私です。

フィンランド紀行


サヴォリンナです。真夏の北欧は本当に素敵!
サヴォリンナ・オペラフェスティバルは本当に素敵でした。お城のオペラを観て、感動!です。


この日は、サウナ小屋から湖に、そのまま飛び込みました。


フィンランドは湖の国です。

セウラサーリ島


セウラサーリです。凍っている海の景色は懐かしい・・・
遥か遠い海にむかって・・・



本当に素敵な理想郷 この世の離れた境地・・・



ラップランド


ラップランドに着きました。


本物のラップランド人にも会いました・・・


トナカイに餌をあげています

私の音楽のふるさと


森の中の少女というか、もう少女ではないですよね。

湖のほとりのオンディーヌ伝説がありますよね?
フィンランドは、水がきれいなので水道水も飲めます。気候は意外にも温暖。
やはり、水がきれいな国に、美しいきれい花は咲き、文化は生まれるのですね。


美しいお花畑で・・・
フィンランドは、かわいい花がたくさん咲く国。


実は、この日、ものすごく蚊に喰われました。でも、風が涼しく、空気が素晴らしくて・・・


ポルボーでとった写真。 実はこの写真、私のお気に入りだったりして・・・


フィンランドの国旗、とても素敵だと思います・・・


この日は、オペラ鑑賞の後、精神的に充実していた日々・・・

観たオペラは、アーレ・メリカント作曲の「ユハ」
フィンランドの古い伝説です。


実は、森の中で迷子になってしまいました。

北欧なのに花が咲くフィンランド・・ 今でも夢に見ます。

わずか2年間半で、 フィンランドへの移住権や、フィンランド人と同等の権利が与えられました。 それは、数々の応援してくれた人たちのおかげだと思います。
でも、それが生かしきれていないまま、時が過ぎて行きます。

未だに、あの日々は幻のようで・・・

そのフィンランドのおかげで、EUのどこの国にも自由に行けるようになりました。
外国の文化を運ぶことは、この上ない魂のエネルギーだと思うのです。
それこそ、数々の反対の中で、自分の意志を通さないといけませんし、
逆の風が吹き荒れている時も、その逆風に立ち向かわないといけません。

森と湖の国、フィンランドの音楽には、
それでも何か見えない価値やセンスを見出せます。

いろいろなフィンランドの話


北欧芸術・フィンランド歌曲の研究及び考察
−シベリウス以降の作曲家−

北欧フィンランドにて、偉大なる自然の中から、生まれてきた芸術を、本格的に勉強し始めてから3年半がたつ。国民の英雄と言われるシベリウスから始まり、キルピネン・メリカント・マデトヤ・カスキ・メラルティン・クーラ・ラウタヴァーラなどの近代作曲家は、本当に素晴らしい。音楽も、言葉も、全てこのフィンランドの自然から生まれてきたものだということを体で体感してきた。

日本の音楽大学のシステムでは、まず勉強することが出来ない北欧の芸術作品を、日本で有名にするために、そして道なきところに、道をひこうという決意は、年々、本格的なものになっている。

日本の教育機関では、北欧の作曲家の歌曲を取り上げられることはない。学ぶ機会が学生に与えられていない。その大半の理由は、今まで北欧に留学した者がいなかった。まだまだ北欧は、日本のクラシック業界にて、未開発の土地であり、フィンランドの国自体も、まだ国が独立して100年経っていない。特に声楽の分野には、言葉の壁があった。

そして、日本の音楽大学の声楽科では、イタリアオペラ、ドイツ歌曲、フランス歌曲を勉強するシステムは出来上がっているが、言葉の問題があるせいかシベリウスを含む北欧歌曲の存在は敬遠をされている。しかし、プロの声楽家を志す者として、将来は、その壁をなくし、北欧芸術を次の世代に伝えていくことを使命と考えている。

そして、北欧歌曲の研鑽を続けており、日本の教育機関では、まだ取上げられていない分野へのチャレンジを志している。


Pohjoismaiden taiteet - suomalainen laulu

Saveltajat Sibeliuksen lisaksi Olen tosissani opiskellut suomalaisia, suurenmoisen luonnon keskella syntyneita taiteita jo yli kaksi vuotta. Aloitin kansallisaarteesta, Sibeliuksesta, jonka jalkeen olen perehtynyt Merikantoon, Madetojaan, Melartiniin, Kuulaan, Rautavaaraan ja muihin nykyajan todella upeisiin saveltajiin. Tunnen luissani, kuinka niin musiikki kuin lyriikkakin ja kokonaisuus ovat syntyneet luonnon inspiraatiosta. Ensinnakaan Japanin musiikkiyliopistoissa ei voi pohjoismaisia taiteita edes opiskella, mutta varsinainen tavoitteeni on tehda suomalaisia taiteita tunnetuksi Japanissa ja raivata uusia teita kulkemattomille alueille. Japanilaiseen opintosuunnitelmaan ei ole sisallytetty pohjoismaista laulutaidetta. Opiskelumahdollisuutta ei ole. Syyna on, ettei aikaisemmin japanilaiset ole kayneet Suomessa opiskelemassa. Japanin klassisen musiikin alalla Pohjoismaat ovat viela kehitysaluetta. Varsinkin laulumusiikkia on viela rasittanut kielimuuri. Japanin musikkiyliopistoissa laulajat opiskelevat italialaista oopperaa tai saksalaisia ja ranskalaisia lauluja, mutta Sibelius ja Pohjoismaiden musiikki, ehka kieliongelmien takia, jaavat etaisiksi. Minun tavoitteeni on tulla laulun ammattilaiseksi ja poistaa tuo kielimuuri, ja luoda uusi aikakausi Suomalaiselle musiikille. Nykyaan opiskelen Jorma Hynnisen oppilaana. Han on julkaissut tunnettujen levymerkkien alla satoja levytyksia maailmalle. Myos Finlandia -merkin alla julkaistut Sibelius -levytykset ovat kuuluisia. Japanissakin Hynninen on kaynyt monta kertaa. Han on toiminut Savonlinnan oopperajuhlien taiteellisena johtajana, Suomen kansallisoopperan johtajana seka Sibelius-akatemian professorina - ilman Hynnisen opetusta ei suomalaisella musiikilla olisi kertojaa. Jorma Hynnisen nimi jaa historiankirjoihin. Jatkan suomalaisen laulun opiskelua hanen ohjauksessaan; opiskelen laulua, jonka opiskeluun Japanissa ei viela ole mahdollisuuksia.

海が凍り、陸が続いている時代、日本とフィンランドは、同じでした。

海が凍り、陸が続いている時代、日本とフィンランドは、同じでした。
Meren ollessa jaassa, ennen kuin mantereet erkanivat, Suomi ja Japani olivat yksi ja sama.



クラシック音楽が日本に上陸してから、もはや90年が達とうとしていますが、いまだかつて日本の音楽大学では、北欧の作曲家の声楽曲が歌われる機会が与えられておりません。

それは言語の問題があるように思えますが、特に、この北欧のシベリウスを含めた北欧の芸術作品においては、学生側に学ぶ機会が与えられていないのが日本の音楽界の悲しい実情のように思えます。 現在は、たまに演奏活動を続けながら、チャンスを待ち続けています。そして世界のチャンスを狙っています。

フィンランンドは、思い描いたとおりに素晴らしい国でした。とても日本人に似ている民族なのです。それは、言葉、生活習慣、感覚全ての面においてです。猫の小判という言葉がありますが、それと同じ諺は、北欧のフィンランドにもあるのです。 海外に行っても、日本人が日本人をやっていればいい。という感覚さえもあります。

水源にも恵まれており、湖が凍ると歩くことが出来ます。

自分は、どうあるべきなのか。何を見つけていくべきなのか、何を選択していくべきなのかは、今、激動の時であると感じます。


Voidaan ajatella, etta kieliongelmat on yksi osasyy, erityisesti, opiskelijoilla ei ole mahdollisuutta opiskella Pohjoismaiden saveltajien teoksia Sibelius mukaanlukien. Tama on Japanin musiikkiyhdyskunnan surullinen nykytila. Nykyaan esiinnyn silloin talloin erilaisilla Japanin estradeilla, mutta pidan kiinni omista mahdollisuuksistani. Tavoitteenani ovat suuren maailman suuret mahdollisuudet.

Suomi on upea maa, kuten etukateen kuvittelinkin. Ihmiset muistuttavat monella tapaa japanilaisia. Tama nakyy kielessa, elintavoissa, tunteissa ja kaikkialla. Japanilaiset ilmaisut, kutan 'antaa kissalle riisia' ovat hyvin samantyyppisia kuin suomalaiset sanonnat. Minusta tuntuu, etta vaikka olenkin ulkomailla,voin elaa tavallista japanilaisen elamaani.

Veden lahteita on paljon, ja jarvien jaadyttya niiden paalla voi kavella-

Millainen minun pitaisikaan olla? Mita minun pitaisi etsia, minkalaisia asioita jarjestaa? Nyt, 29-vuotiaana minusta tuntuu, etta on aika tehda valintoja.

Klassisen musiiki rantautumisesta Japaniin on kulunut jo liki 100 vuotta, mutta silti Japanin musiikkiyliopistoissa ei ole mahdollisuutta laulaa Suomen saveltajien teoksia.

フィンランド・ポルボーにて・・・


フィンランド・ポルボーにて・・・


Porvoosa

この3年間の目標は、フィンランド人よりも、フィンランド歌曲を素晴らしく、歌うこと。
フィンランド人よりも、フィンランドのことを理解すること。
3 vuoden aikana Suomessa tavoitteeni on laulaa suomalaisia lauluja paremmin kuin suomalaiset... ymmartaa suomalaisuus suomalaisia paremmin...

幸せのプリモから・・・メッセージ

Purimon joulutervehdys

Purimosta on tullut tonttu, kuten tonttulakista hetihuomaa...

Sopivankokoinen tonttulakki loytyi Stockmannin lastenvaateosastolta.


ストックマンで買ったお帽子

サンタさんが、フィンランド出身って、知っていた?僕、サンタさんのお使いトントになっちゃった・・・ 実は、ストックマンの赤ちゃん売り場のお帽子が僕にぴったりだったんだ! ストックマンの前のイルミネーションは、毎年素敵なイルミネーションなんだね。 日本ではお正月の準備かな?フィンランドでは年内クリスマスなんだよ・・・



ヘルシンキの夜

Purimo toimii suomalaisen joulun lahettilaana Japanissa ja maailmalla.

フィンランド語と日本語


フィンランド語は、ウラル(URALI)言語です。日本語と同じなのです。
言葉の響き、音節、フレーズ、全てにおいてです。その証拠にフィンランド人が話す英語は、日本人が話すカタカナ英語と同じに聞こえます。
また日本語を知らないフィンランド人が、日本語を話すと、日本語に聞こえます。フィンランド語を知らない日本人が、フィンランド語を話すと、フィンランド語に聞こえるのです。まさに、農耕民族の表伯の民族であり、それらは音楽にも現れております。

フィンランド歌曲のリズム

フィンランド歌曲は、ヨーロッパの伝統的音楽とは大きく違います。ヨーロッパの有名な音楽は、ゲルマン、スラブ、ラテンの音楽です。4拍目の裏をためて1拍目に持っていくような抑揚があるのがヨーロッパの音楽です。しかし古来の日本人・農耕民族は、表拍の民族です。畑を耕す農耕民族は、裏拍を感じることができなくて、音楽教育機関で何年も勉強するのです。

しかしながらフィンランド歌曲は純粋なフン族の流れのウラル(URALI)民族音楽です。100パーセント純潔なURALIの血が流れている作曲家はシベリウスではなく特に、キルピネン、アーレ・メリカントなどです。

これは、どういう意味かというと、シベリウスはスウェーデン系ゲルマン音楽です。シベリウス以外の作曲家メリカント、キルピネン、それらの曲を突きつけていくと、全てウラル特有の表拍です。厳密には、4拍子の曲でしたら、1拍目と3拍目に、(特に3拍が)表拍アクセントがかかります。 ウラル歌曲は、裏拍を感じる必要が特にありません。


余談ですが、現地のドイツ人、フランス人、ロシア人、ポーランド人に、フィンランド歌曲を演奏させた経験がありますが不自然でした。自信とプライドに満ち溢れた彼らたちは、まっすぐ歌うことができません。思わず抑揚がついてしまうのです。抑揚をつけることがクラシック音楽という考え方を、一度、打破しないと難しいのですが、それでもヨーロッパ民族の彼らたちは表拍ができません。なぜか微妙に裏拍が、くっついてきてしまうのです。しかし日本人は、日本人が持つそのままのDNAをやればいいのです。そのままの民族の血を音楽の中で生かせばいいだけなのです。日本人には簡単です。

バルト3国で、ノルウェー、スウェーデンは、ゲルマン民族です。
フィンランドだけが、日本と同じウラル(URALI)民族なのです。


Suomen ja japanin kielet


Suomi on uralilainen kieli, kuten on myos japanin kieli. Kielen sointi ja tavutus, fraasit - kaikki on samanlaista. Taman todistaa myos suomalaisten puhuma englanti, joka kuulostaa samantyyliselta kuin japanilaisten aantamana. Suomalaiset osaavat ensi yrittamalla aantaa japania, ja samoin japanilaiset suomea. Voidaan puhua maanviljelijakansoista, joiden kielissa painotus on alussa. Tama nakyy myos musiikissa.


Suomalaisen laulun rytmi

Suomalaiset laulut ovat taysin erilaisia kuin perinteiset eurooppalaiset laulut. Tunnettu eurooppalainen musiikki on germaani-, slaavi- tai lationoperaista. Brahmsin musiikissa siirrytaan ensimmaiseen tahtiin yllapitaen neljannen tahdin loppua. Mutta japanilaiset ovat ovat vanha maanviljelijakansa ja painotus seka rytmitys ovat alussa. Kun eurooppalaisessa rytmityksessa ei tunnu etupainotusta, taytyy esim. Brahmsin rytmitysta opiskella vuosikausia. Sen sijaan suomalaiset laulut ovat rehellista uralilaista kansanmusiikkia. Sibelius ei ole taysin puhdasta uralilaista musiikkia, sen sijaan uralin veri virtaa puhtaimmillaan esim. Kilpsen ja Aarre Merikannon lauluissa. Tama johtuu Sibeliuksen ruotsinkielisesta (germaaniesta) taustasta, mutta muut saveltajat ovat puhtaan uralilaisia. Karkeasti tarkastellen, Merikannon ja Kilpisen kaikki teokset ovat maatalouskansalle tyypillieti etupainotteisesti rytmitetty. 4 tahdin lauluissa paino on ensimmaisella ja kolmannella tahdilla (erityisesti kolmannella). Uralilaisissa lauluissa ei tarvi tuntea takapainotusta, ja jos painotus menee loppupuolelle, tuntuu oudolta.

Olen kuullut paikan paalla saksalaisten, ranskalaisten, venalaisten ja puolalaisten esittamina suomalaista musiikkia, mutta usein se on kuulostanut epaluonnolliselta. He pursuavat itseluottamusta, mutta eivat pysty laulamaan suoraan, ja huomaamattaan muuttavat intonaatiota. Taytyy paasta eroon ajatuksesta, etta klassisessa musiikissa taytyisi olla voimakkaita intonaatioita, mutta se on vaikeaa, ja usein alkuosan painotus ei onnistu. Hiuksenhienosti, alkupainotus saattaa liimautua yhteen. Sen sijaan, japanilaisilta alkupainotus onnistuu luonnollisesti harjoittelemattakin. Voi antaa vain oman kansallisen verensa, dna:nsa virrata lauluissa luonnollisesti. Japanilaisille se on helppoa.

Pohjoismaista Norja ja Ruotsi ovat germaanisia. Vain suomalaiset ovat samaa uralilaista kansaa japanilaisten kanssa.

フィンランドの風景

偉大なる自然から生み出された音楽・・・


雪だるま


大聖堂


北極線


BARA


凍て付く夜


地球の果て・・・

オーロラ


天の神秘・・・

雪だるま


ベリーイリ


ZARIGANI


透き通る自然の芸術。

雪の結晶


ヘルシンキの夜

フィンランド語講座

私は、yoko です。
Mina  olen  yoko. ( ミナ オレン ヨーコ )

私は、ビルの中に、入ります。
Mina menen taloon. ( ミナ メネン タローン )
私は 行く  ビルへ

私は、ビルにいます。
Mina olen talossa.( ミナ オレン タロッサ )
私は です ビルの中

私は、ビルから、教会に行きます。
Mina menen talosta kirkkoon.( ミナ メネン タロスタ キルッコーン )
私は 行く ビルから 教会へ

私は、家の中に、入ります。
Mina menen kotiin.( ミナ メネン コティーン )
私は 入る 家の中にへ

私は、家で、ごはんを、食べます。
Mina syon ruokaa kotona.( ミナ スゥォン ルオカ- コトナ )
私は 食べる ごはんを 家で

これは、Yoko の時計です。
Tama on Yokon kello. ( タマ オン ヨーコン ケッロ )
これは です ヨーコの 時計

これは、Yoko Tsukuda の時計です。
Tama on Yoko-Maria Tsukudan kello.( タマ オン ヨーコ マリア ツクダン ケッロ )
これは です ヨーコ ツクダの時計

Yokoはフィンランドに時計を忘れました。
Yoko unohti kellon Suomeen.( ヨーコ ウノフティ ケッロン スオメ-ン )
ヨーコ 忘れた 時計を フィンランドに

ヨーコの時計は、ピアノの上にあります。
Yokon kello on pianon paalla.( ヨーコ ケッロ オン ピアノン パーッラ )
ヨーコの時計です ピアノの上

私は、フィンランド語を、勉強します。
Mina opiskelen suomea.( ミナ オピスケレン スオメア )
私は 勉強する フィンランド語を
Mina opiskelen Suomen kielta.( ミナ オピスケレン スオメン キエルタ )
私は 勉強する フィンランドの言葉

私は、フィンランド語を、話します。
Mina puhun suomea.( ミナ プフン スオメア )
私は 話す フィンランド語



フィンランド語は、全て語尾変化です。YOKOLLE(ヨーコへ)、YOKON(ヨーコの)みたいに、覚えやすいのです。 フィンランド後はウラル言語です。

ウラル民族の中のカテゴリーに、ハンガリー、モンゴル、トルコ、フィンランド、日本とあげられます。


(c)2010 YOKO MARIA All Rights Reserved.